私の友人に、小さなインド料理店を経営しているインド人男性がいます。ここでは名前をNBさんとお呼びしましょう。NBさんは、日本に来て10数年になりますが、日本語を聞いて理解するのはほとんど問題ありません。とはいえ、話すとなると、やはり不自然な日本語がチラホラ混じるので、ときとして意思疎通に問題がおこることもあります。
あるとき、NBさんにイベント出店の手伝いを頼まれました。以下はその時の会話です。
当日の朝、準備を整えたNBさん。私は助手席に乗り込もうとして、ふと思いたって聞きました。
「場所は分かっていますよね?」
NB「分かっていますよ、ここに書いてあります」
「住所しか書いてないけど、行き方は知っているの?」
NB「知らないですよ」
(えっ、なんですって?)
住所を見ると、私も知らない町です。どのくらい時間がかかるかさえも、わかりません。
(当時はまだ、地図アプリは無かったし、車が古かったのでナビも装着していません)
「待ってて、地図をプリントしなくちゃ」
私は慌てて事務所に戻り、地図を検索し、更に近くのコンビニまで走り、拡大コピーをして車に戻りました。
「行き方を知らないで、どうやっていくつもりだったの?私も全然知らない所です。えーとですね、この道をまっすぐいってから…、○○という駅…」
私は少し苛立ちながら方向を指示しました。
すると彼は、鼻歌まじりに言います。
NB「はい、分かってますよ、この先を左に行くんです」
「知ってるんですか?」
NB「はい、知ってますよ~」
(おいおい、私がさっき地図を出すために走り回ったのは、無意味だったってこと?)
私は心でそう呟きながら、彼に問いただしました。
「さっき、あなたは行ったことがないと言いました。でも今は知ってると言います。どちらが本当ですか?」
NB 「○○駅には何回も行ったことがありますよ」
「そう、では、行き方が分かるんですね?」
まあ、どっちにしても、分かるならいいかと、私が半分胸をなでおろしたとき、NBさんが続けて言います。
NB「友達がいたので、電車で何回も行きました」
(何ですって?電車ですって?)
「ではつまり、電車では行ったことがあるけど、車では行ったことがないんですね!?」
この二転三転するやりとりに、私はわざと、大きなため息をつきました。すると彼、にこにこしながらこういいました。
NB「大丈夫ですよ~、何とかなりますよ~」
まったく...呆れて何の言葉もありません。
さて、読者のみなさんはお分かりでしょうか?
そう、彼の血液型はB型です。「何とかなるさ」は、B型の常套句なのです。それを、日本語のおぼつかないインド人のB型さんも、日本人のB型さんとまったく同じように使いこなしているのです。実に面白いことです。
まあとにかく、そんなコントみたいなやりとりをしながらも、目的地には無事に辿り着きました。
NB「良かったですね~、ほら、無事に着きました!」
彼はそう言ってほがらかに笑っていました。
私はその時、もう一言、彼に言ってあげたい気持ちになりましたが、グッとこらえました。それについてはこのコラムに書くことにしましょう。
確かに、彼の言うとおりに、何とかなりました。けれど何とかスムーズに来れたのは、結局のところ、私が慌てて用意した地図があったからなのです。
もし私が居なかったら?彼は誰かに聞いたりしながら、何とかたどり着いたかもしれません。しかし、時間に遅れたかもしれないし、日本人でさえ不安になる田舎道、思わぬトラブルに巻き込まれることだってあり得ます。
B型の「何とかなるさ」は、その場の不安な雰囲気を吹き払うには、驚くほど効果があります。周囲の人も、その言葉を聞いて、何となく救われた気分になったりします。
しかしよくよく振り返ってみると、実際にはたいてい、"何とかしてる"のは、周りにいる他の誰かなのです。
いつだったか、B型社長の秘書をするA型さんの嘆きを聞いたことがあります。
「うちの社長は確かにやり手なんです。それは認めます。でも、無理な案件もいいよいいよ、って引き受けて、何とかなるよ、って楽観してるんです。しかしね、何もしなけりゃ何ともならないに決まってるじゃないですか」
そのA型さん。社長のために...何とかするために...、西へ東へと、いつも走り回っていたのを、しみじみ思い出すのであります。