季節も秋になると、来年のカレンダーや手帳が店頭に並ぶのを目にします。すると同時に、わたしはちょっとした焦燥感にも襲われます。
というのも、一年の最初には、その年の仕事の計画を練るのがわたしの習慣になっていて、年末に少々奮発した手帳を買い、思いを巡らせながら、真新しいページにペンを走らせるのです。それは希望に満たされる時間でもあり、そして自分で言うのも何ですが、毎年なかなか良く出来た企画書が完成するのです。ところが、その手帳が埋め尽くされることはほとんどなく、いったいこの一年間、何をやっていたのだろうかと、秋の季節になると振り返らずにいられないからです。
以前、韓国の園児取材に訪れた時のことですが、保育士さんの若いAB型女性に相談されたことがありました。
「私は、学生の頃から計画を立てるのが好きです。とても素晴らしい計画書を何時間もかけて作って、とても満足しますが、でも、それですっかり終わってしまうのです」
何とまあ...それはまさに、私のこと…?思わず吹き出してしまったのは言うまでもありません。
「実は私も同じなんですよ」
「え、市川さんも?それはAB型だからでしょうか?」
彼女は驚きながらもホッとした様子。2人で「困った性質よね」
と笑い合いました。
他国の初めて会った女性と、こんなふうに共感しながら親近感を抱けるのは、血液型ならではともいえます。
おもしろいことに、同じ血液型同士だと、それが嫌な面となると尚更のこと、やたら目につくものです。
ある時O型のスタッフが、
「O型の人って、暑苦しいから嫌い!暑苦しいのは自分だけでたくさんよ!」
と憤慨した時には、一同爆笑しましたが、他の血液型同士もそれぞれに、自分の鏡を見るような場面では嫌悪も激しくなるらしいのです。
「アイツ頭が堅いからな!」
とAがAを批判し、
「あんな勝手なヤツと仕事できるか!」
とBがBを罵り、
「だいたい根性が足りないのよね!」
とABがABに呆れ…
どれも、「自分はどうなの?」と突っ込みが入りそうですよね。
でもこれは、素晴らしい鏡なのです。それに鏡の相手は、修正すべきところを教えてくれるだけでなく、見習いたいところを教えてくれる相手にもなります。
わたしは、人に学ぼうとするなら、まずは同じ血液型の方がいいだろうと考えます。もちろん異なる血液型だからこそ、憧れることや学ぶことも多いし、それが自己開発や、新たな自己発見になることもありますが、しかしそれが自分の要素として持っていない部分だったとしたら、開発するのにより大きな努力が必要になるかもしれません。それによってもっと悪いのは、「やっぱり自分はダメなんだ」と、自己嫌悪に陥ったり、諦めてしまうことです。
一方、学びたい対象の人物が同じ血液型であれば、自分の中にそれと同じ要素を見出せる可能性が高くなります。そして共感、共鳴する度合いもより大きくなるので、実行しやすいに違いないのです。
人間の性格は、遺伝より環境が重要と考える人も多いですが、わたしは、環境というよりむしろ『訓練』と言った方が正しいように思います。たとえ同じ環境にあっても、それをどう捉えるかはやはりその人次第だからです。素材があり、それぞれの環境がある。それらをどう活用し、何を経験したいか、どう修正していくのかと、いずれにおいても調教するのは、すべて自分自身ということになるのでしょう。
話はだいぶ横道にそれましたが、私の場合、計画倒れのわたしの習性を、ただしてくれる鏡がまだ見つかっていないようで、いまだに同じ過ちを繰り返しております。
さて、みなさんの周りには、どんな鏡がありますでしょうか。
「鏡よ、鏡...」
と、問いかけてみてください。
確かに!A型の母親を見ているとまるで鏡のような気がします。