これまで、さまざまな分野の血液型データを集めてきましたが、スポーツ界をみると、どの種目においてもO型が多めにいるということが分かっています。
これにはいくつかの理由が言えそうで、ひとつには、O型はエネルギー代謝の活発な人が多く、運動に向いている体質を備えているのでは、というのがあります。
またスポーツは、「競争」や「勝負」を目的にするものがほとんどです。スポーツ文化とは、そもそも、そうした本能的闘争心を満たすために生み出された面もあるでしょうが、とはいえ、人には競争心が旺盛な人、苦手な人、いろいろいると思います。けれどなかで、それが比較的強く表現されるのは、やはりO型のような気がします。
さて、「競争」とか「勝負」なら、スポーツだけでなく、近代社会のしくみそのものが、この2つの言葉で成り立ってきたようなものです。すると、社会の中で、たくましく生き抜くことに心を砕くO型にとって、勝負に勝つことは、明確な目標にもなるのです。
そんなO型さんは、「一番」であることにも、強いこだわりを持つようです。それが、「どうせ目指すなら一番だ!」というような理由なのか、お山のボス的な欲求なのか...、詳細は分かりかねますが、これまでのわたしの経験では、「とにかくO型は一番が好き」ということだけはいえます。
とある街で、大道芸イベントに行った時のことです。当センターには、イメージソング「みんななかよし」という、とっても楽しい歌があるのですが、この歌を制作してくれた童謡バンドが、いろんなイベントに出演する際に歌ってくれています。そんなことで、わたしも時々イベントのお手伝いをしていました。
その日は、それぞれ歌や芸を披露するいろんなパフォーマーたちが、楽屋に集まっていました。我ら、華のボーカルは、O型のお姉さん。今日も元気一杯、楽屋で準備を整え、出番を待っておりました。
するとそこへ、きらびやかな衣装をまとったサーカス風の女性演芸団が入ってきました。その、ド派手な女性たちを見た、その時です。O型お姉さんの顔色が急変しました!そして彼女はすぐさま、持ってきた衣装鞄を引っぱり出すと、ピンクの大きな髪飾りを取り出して言いました。
「こっちにするわ!どう?あ、これも付けちゃおうかな!!」
わたしは思わず、ウンウンと相づちを打ちながら、その、お姉さんのO型らしさに、つい笑ってしまいました。O型お姉さんは、
「だって~、彼女たち目立ってるんだもん!!」と、素直に照れ笑い。
そういえば、インドネシアの園児観察を行った時も、頭にきれいな色の大きな髪飾りをつけているのは、たいていO型の女の子でした。他より目立とうとする行動、それはつまり「我ここに在り」という個性主張の行動とみますが、これらも考えてみれは「競争意識」とつながるのかもしれません。
一時期、”ゆとり教育”というのが行われたこともありましたが、最近は、子どもたちに競争意識を植え付けてはいけないという教育指針があります。確かに、これまでのような競争一辺倒の社会には問題があるのでしょう。しかしだからと言って、安易にそれを否定することにも懸念が残ります。
「血液型人間学」の観点から考えたとき、子どもたちのより健全な社会性を育てるためには、『正しい競争の仕方』を教えることが、より大切に思えるのです。子どもは、勝ったり負けたり、いろいろなシチュエーションを経験することで、より良い勝ち方、より良い負け方など、その力加減を、自然と身に付けていくのです。
特にO型の子は、そうすることで本来の競争心の強さを、むやみに露呈することなく、上手にコントロールできるようになります。O型は、自己の個性に敏感です。集団の中では、自分と自分以外との力関係を図りながら、自分の立ち位置を定めているのです。
成長後、O型の一部は、それに神経質になり過ぎることがあり、すると本来の、O型の良さが発揮されないばかりか、人間関係で神経症に陥ることさえあります。O型の幼少期は、仲間との力関係のバランスや、力の良い加減を、自然に身につけるのはとても大切なことなのです。
そしてあらためて、未来を見据えてみようと思います。現在、行き過ぎた競争社会の成れの果て、人々の意識変化が起きているのは事実です。この先、「競争」による生き残り社会は消失し、全ての個性を真に尊重する社会へと変化するのは理想でもあります。そうならば、O型の生き方も自ずと変わっていくのかもしれません。
O型は、自己を表現する手段として、これまでの人類社会で最もそれが明確に示せる「競争」というツールを使ってきたのです。もしも今後、社会のルールが変わるなら、O型はその現実に適した生き方を選ぶのではないかと想像できるのです。
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