最近、ウサギをペットとして可愛がる人も増えているみたいですね。
私の”ウサギ”との思い出といえば...最初の出会いは幼い頃、田舎の親戚の家へ遊びに行き、前歯で指を噛まれたときでした。それからしばらくして、庭で父がウサギを飼い始めました。(その頃はウサギを部屋で飼うという習慣がなかったのです。)私は、また噛まれるのではないかと少し怖がりながら、そっと遠目で見守っていました。
ところがある朝、庭に出てみると、ウサギ小屋の扉が開いていて、2匹のウサギは外に放り出され、すでに硬直していました。
父が言うには、たぶん野良犬(当時はまだ、野良犬が時々居たのです。)が庭に入り込んだのだろうと。私は動物の『死』に、生まれて初めて直面し、言いようのない悲しみの涙を流しました。そういうわけで、私にとって、ウサギさんとの思い出というのは、残念ながらあまり楽しいものではありません。
とまあ、これは私とウサギの思い出ばなしで、たんなる前置きなのですが、"ウサギ"というと、『ウサギとカメ』の寓話や動揺を、思い出す人も多いことでしょう。
どう見ても俊足のウサギさんと、のろまなカメさんが、結果が見えるような競争をするわけで、ところがウサギさんが少々高慢チキで油断して、途中昼寝なんかしたりして、一方のカメさんはコツコツ歩き続け、すると、地道に努力したカメさんが勝ってしまうのです。「油断禁物!コツコツ努力が大切!」という、子どもたちへの教訓ですよね。
さて、ここで本題。ある日のこと、B型の若い男性スタッフがPCを前に、いつになく熱心に作業をしています。しばらくすると彼は、ニヤニヤしながら、
「ねえねえ、見て下さい。ボク、こんなの作っちゃいましたぁ~」
と、皆を呼びよせました。
それは『ウサギとカメ』のパロディ動画なのですが、な~んてことはない。ウサギとカメが、「よーいドン!」で、寓話のとおり競争を始めるわけですが、ウサギがそのまま爆走してぶっちぎり、一気にゴールへ辿り着いてしまうんです。それで終わり。
カメがコツコツ努力する隙も、甲斐も、皆無です。これじゃあ教えどころか、オチもないし、お話にもなりません!私たちはみな、可笑しいというより、バカバカしくて半ば呆れ、言葉を失っていました。
でもB型くんは、すご~く満足そうにしています。
「だって、ウサギがすんなり勝っちゃったって、別にいいでしょ!!」
『努力』とか『地道』とか、殊更そういうものに重きを置く世の風潮に、何となく納得できないんだと、彼は言います。
よくよく考えると、彼の気持ちも分からなくはありません。それに実際は世の中、そうした教訓にも、ときに裏切られることがありますしね。でもね、とは言っても、やっぱりこれって、タブーじゃないかしら。
人々も「ウサギとカメ」が、常に人生に通用するわけではないと、うすうす知ってはいるのです。それでもそこには、きっと真理や人の道があるんだろうなと、共通理解をしているわけです。だから世の中、こういうたぐいの話しには、ケチをつけないのが、暗黙のルールになっているのです。
それなのに、B型さんたら、そういうルールを、いとも簡単に、あっけなくブチ壊してしまいます。
『常識』とか『タブー』とか、人間が作り出した決め事に、頓着しないのがB型の特性であり、ある時はこのB型くんのように、わざとひっくり返して面白がったりもするのです。それは、時には起爆剤として非常に良く作用したり、ハタと人々の目を覚ましてくれたりもします。もちろん、ひんしゅくを買ってしまうこともしばしばあるわけですが…。
そう言えば、「裸の王様」という寓話がありますね。立派な服を着ていると思い込んでいる王様に、「ハダカじゃ~ん!」と、正直に言ってしまった少年がいましたっけね。この少年も、B型だったのかもしれないなあ。
そんな事を、つらつらと思い出しながら…、とことん煮詰まって、行き詰って、にっちもさっちも行かなくなっている今の日本社会で、ス~イ、ス~イと常識をとっぱらい、突き抜けてゆく人が、必要かもしれないと思っているのは、私だけでしょうか。
常識や周囲の思惑にとらわれないB型さんが、そんな役割を果たしてくれるかもしれませんね。