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​能見正比古 ​​Collection

ある日の講演記録

​(※とても長い文章です/19,000文字)

私、B型です。

ちょっと風邪をひきまして…これはB型ですから、大変間の抜けたひき方をして、5~6日前“今風邪が流行っているから気をつけろ”なんて電話が掛かってきて、その時、大威張りに「どう言うわけか知らんけど、俺の身体は、風邪が受け付けないんだぞ!どこで風邪流行っているのかわからんよ」なんて言いましたのに、電話を切って一時間ほどしてからひきまして、あんまりたわいないんでがっかりしてるんですけど。
 

まぁそういう訳で、体調の悪いときに申し訳ございません。
それから、B型は場所がらをわきまえないんで、たちまち苦情なんか申し上げるんですけども。こちらの司会の方が大変血液型を不思議だとおっしゃる…ちっとも不思儀じゃないんですけどね。
つまり、血液型で人間性の関係や関連性という、全くの事実だけを追っかけているんでして。

まぁ、不思議とお考えになる気持ちは解かるんです。なんか人間というのは、人間の心というのは科学とは場違いであって、不思議な現象に属するとついお考えがちになる。それじゃあいつまでたっても、確かに不思議のままで終わるんで。

まぁ今、誰もが太陽は東から昇る、”この不思議な関係を”と力む人はありませんし、水と酸素と水素がいっしょになると水になる。”この不思議な関係を”と、お考えになる人もないと。

同じように人間の心の問題を、不思議で無くなるようにする為にこちらは苦労して、データーを集めていると。ただ、今までデーターが無いんで事実を知る由が無いんだけど、これから集めれば、どんどんいろいろと解かる。まぁ、そういう風にお取り願いたいと思うんです。


れからもうひとつ、占い、あるいは血液型占いと言われる、これがいつも困るんです。並べられるだけでも困ってしまうんですね、と言うのは、実際に占いと間違える方が大変多いんです。お帰りになってお手元の国語辞典、あるいはよく売れております広辞苑なんかをお引きになって占いとか易とか易者とか…そんな項目をお引きになると解かりますけども、占いとか易は未来の吉凶とか運勢とかを判断するもの…と、こう書いてあって性格の性の字も書いてないと。古い易の本なんか紐解きましても、性格の性に字も書いてないと。性格とは関係無いんです。

性格っていうのは、それぞれ人間の数ある現象でしょう。これは客観的に観察してとにかくデーター集めて、整理して、分析して…そう言う性格に関する科学って言うのは大変進んでおりませんけれども、まぁ無いも同然ですけど、しかし科学の対象には違いないと。

占いというのは、(今の)科学とはぜんぜん関係無いところでやるわけです。


では、この血液型、そうですね一番最初に、それぞれの血液型おをまず誉めときますけども、ただ、どういう血液型でも良い人もあり悪い人もあるんです。頭良い人もいれば、そうでないのもいると。もうとんでもない犯罪者もいれば、すばらしく良くできた、世界的にも非常に指導的な方もいらっしゃると、これはあたりまえの事ですが、そういうふうに理解していただいて、聞いていただきたいと。


まず、O型の方の一番自信を持って良いところは、やっぱり非常に人間味が有る。ちょっと悪く言えば人間くさいって言うことですけども、非常に人当たりの暖かい人間味…と言うのは付き合うとしみじみと解かってくる。そういう意味で愛情性の一番豊かなのがO型と、こう申し上げておきます。その愛情性をできない人もいますよ、しかしまあ、とにかく平均してO型でなければできない暖かさを持っていると。まずこれは自信を持っていいと思います。

あと、これは男性のほうがむしろ自慢しても良いことだと思うんですけども、大変バイタリティーがあって精神が強いと。そういう意味で生活的には実は一番確かになるところを持っているのがO型だと、こう最初に誉めておきます。


それから、A型の方ですけど、A型の方はとにかく何といいますか、社会的に一種の責任感といいますか、使命感といいますか、そういうところで非常に厳しいものを持っている。それから非常に筋を通す、という、芯の有るところを持っていると、そういう努力家であるということがございまして、組織の中でも学校でも大変模範生、優等生として第一にA型に意を服すると。

奥様方の中でも割に模範的な奥様、賢夫人、良妻賢母ですか。これは悪い意味で言ってるのではなくて、本当の意味での良妻賢母タイプの人がA型に一番多いと、これもまあ安心して誉められます。

愛情面では、A型の方は非常に細かく気を使って、いわゆるちょっとした思いやりで人を和ませると。気を使うというのは、また、A型の一種のサービス精神と言ってますけど、人を傷つけまい、人を嫌な思いにさせまいというサービス精神が人一倍強いと。まあ、こう言ったところがA型の誉め言葉であろうと思います。


私もB型ですけども、まあ自分のことですから、ついB型のほうは悪口を言うほうが大変好きになっちゃうんですけど、まあB型の方の良い点といえば、何といっても、開放性ということだと思うんです。

誰とでも差別なく親しむ、これはA型とO型の方にあまり見られないんです。割と若い人なんかに居ますけど、“あっ、こいつはたいしたことないな。”と思うと、もう見下したような態度をする。それが実は、例えばですよ、“社長の親戚のお坊ちゃんだ”というとすぐぺこぺこすると、これは大変見苦しいわけですけども。まあそういうことがB型には一番ない。誰とでも本当に差別なく親しむ、という点がやっぱり一番いろんな人に好かれるところだと思います。

あと、B型が優れてる点は、本当に一番社会でのびのびと能力を発揮する、つまり能力を才能へ、能力を頼みにして世渡りした方が良いと。それだけに、男も女も本当に区別なく高い能力をぶつけて、レベルの高い仕事をする人が、B型に一番多い感じである。こういう点がB型に対する誉め言葉だと。


最後にAB型、これはもうとにかくなんと言いますか、人当たりの良さ…でしょうかね。大変ソフトで。クールなところも有りますけども非常ににこやかで、本当に人当たりが良い人がいる。

これがまた、大変世話好きと。頼まれたら嫌と言えない、というのがAB型の特徴で。

自分の部屋をほったらかしても、他人の部屋を一生懸命直したりするのも、やっぱりAB型。損にも得にもならない会社なんかのパーティーとか旅行会の幹事役なんかでも、汗かき、気をもんで、フーフー言って、ブツブツ言いながらでも、ついついやらされてしまうというのもAB型で。

まあそういう世話好きなところ、あるいは人と人とのパイプ役と言うんですか斡旋役というんですか、もめごとなんかの間を取って調和させたり、妥協させたり。そういうまとめる力が非常にすごい、人間関係の名人とか言ってるんですけどもそう言うところも有ると。そのくせ非常に社会に対して奉仕の精神があって、非常に正義感の持ち主であると。本当に曲がったことは大嫌いと言った面も持っていると言うところまでがAB型の良いところだと思います。


   これで一通り誉めておきますと大変安心いたしまして、後は勝手に私が言えると、いうもんでざいますので。

(中略)

  それでは、この血液型っていうのは何なのかと。さっき科学だ科学だとやたら振り回したけど、それじゃ何なのかっていう問題です。ここんとこ無くなりましたけども、やっぱり頭の古い方がいらっしゃいまして、“そんな血液型なんかで性格がわかるもんか”なんてブツブツ言う人は確かにいたんです。まぁそれはいつの時代にもいて、江戸時代にもちゃんとした物理学の実験を見せられてもそんなのキリシタンのバテレンの魔法じゃないかという、石頭はいたわけなんです。それと同じような人は今でもいるんで“血液型なんかでそんな性格がわかるか”と言う人がいる。

血液型なんかでって軽く言いきるから、なら血液型ってどんなもんかご存知?って聞くとグッっとつまりまして“血液型は血液型じゃないか…”そういう風に、案外名前は知っていると、だけど改めてその正体は何かと聞かれると、わからないという物が世の中に有るもんですよね、仮にも我々が見ているテレビもそうで、もう見慣れてしまって何にも思わないけど、テレビの、ああいう映る原理を“ちょっと子供に説明してやってちょーだい”と言われても、説明できない人が非常に多いと。なんか知らないけど箱に絵が映るだけで、としか解からないという人がずいぶんいるわけですよね。血液型はもっとひどいんで。名前は本当に良く知っているけども何かわからないと。


(中略)

血液型と言うのは、個人の持つその人特有の体質で有るというのがおわかりいただけると思う。つまり体質なんですよね、つまり…血液型って言うのは「体質型」であると。人間だけじゃないんです。生物と言ってもいいんですが、生物の身体の体質を分ける型であると。体質というのは気質と言っても同じと。これは変な感じをお持ちになる人も有るかもしれませんけれど、気質というのは性格のことですね。間違えて、体質は身体から来るもんだと、だけど気質は天からふわ~っとこう降りてきて身体に宿るもんだと。そう言う風にお考えになっている方、まあ一人ぐらいいるかもしれませんけど、まあ多分そんな風にお考えにはならないと思いす。


気質というのもやぱり身体の中から出てくるんで、どちらかと言うと身体の動きに関連するものが体質、どちらかと言うと心の動きに感連しているものが気質と言っておりますけど。まあ、食べ方、あるいは好き嫌い、あるいは眠り方、寝つきとかですね、眠りの深さとか。これはあまり大きな声で言えませんけど、セックスのし方なんかも血液型が現れますが、このセックスのし方とか、そういうものになりますといったい気質なのか、体質なのかぜんぜん判らないと。そういうのがいくらでも出てくるんです。結局この二つの間には境界線はないんで、同じもんであると。だから言ってみれば血液型と言うのは、生物の身体の体質、気質、体質、気質を分ける型だと。これはこの様に言って良い訳なんです。


すぐお判りになると思いますけど、これはつまり形とかサイズとか寸法とか量的なものとかとは違いましてね、人間の身体が175cmか、200センチか、あるいは140cmか、そいう量の違いじゃない、体質だと。あるいは顔の色が黒いか白いかでもないと。そういうものではなしに、「質」と言う以上はこれは材料ですよね。

(中略)

言ってみればこの血液型は生物の確認、材料型と言うわけです。材料の違いというのは考えてみますと、そのものの性質、機能に関係するわけで、まあ、奥様方だったらすぐピンと来るのはたぶん料理で、フライを同じような厚さにして、同形に切ってフライパンで同じ油使って同じように焼いたところで、牛と豚とチキンとあるいはマグロの切り身と全部味が違うんで、材料によって同じ条件でやっても、すぐ機能や特性が違ってくる。それは人間だけ、生物だけは違うんだって主張したってだめなんで、そりゃ材料が違えば特性、機能にすぐに影響してくる。逆の意味から言いますと材料の研究をして初めて科学的な研究、と言うことが成り立つわけなんです。

例えばそうでしょう、着てる衣服のサイズとか、デザイン設計とか、寸法とか、色がいいとか。そんなもの賢明に調べても、何か大きく一つ忘れてませんかってすぐ気がつくんですけど、そこに材料である生地の研究がなければ衣服の科学的研究って言うのはできない。今までの人間の研究と言うのは、全部その材料の研究を、材料の問題を抜きにしてた。で、初めて血液型によって人間を分ける材料というのがわかって、人間の研究を科学のコースに持ち込むという可能性が開けたということなんです。


つまり血液型が今のところ重要なのは、血液型以前にこの材料の違いを示すものは見つかってないということなんです。地球上の生物と言うのは同じ先祖から出るてるというのが一つの立証とされてますが、本当にどの生物も同じ材料からできている。これは生物学的一様性という言葉で言われているんですけど、その中で、例外と言うか当たり前と言うのか、そう言う材料の違いを示すこうした分類方式、それをひっくるめて血液型と言っていると。まあこう言う風な定義をした方がよろしいと思うんです。ただそれで血液型のことはだいたいお解かりになったし、血液型がなぜ性格に、あるいは人間の性質や特性や機能に影響するのかというのも、「材料」だというだけで非常に筋がとおるわけなんです。
それならば、実際、血液型という材料の違いでどのくらい影響がでるんだろうかというのを検証して調べていかなければいけない、ということになります。

(中略)

血液型の講演をしまして一番困るのは、大変ご興味持っていて詳しい方と、まるで血液型の、この分野から言えば江戸時代より遅れていらっしゃる方と、もう非常にまちまちに混ざっていらっしゃるんで非常に言いにくいんですけど、血液型はいったい人間の性格なんかに関係するのかしないのかと、そう言う論理の段階はとっくに通り過ぎてるわけです。もう現実にその事実としてどんどん現れてる。

世の中に、一般の社会にも、もう血液型を実際に活用して、自分達の周りの人間関係にも、会社の経営にも、部下の管理にも、あるいは自分の進路決定・教育にもどんどんお使いになっている方が、急速に増えていると。現在はもう全く当たり前のこととして普及しつつある。これから10~20年の間この血液型のいわゆる人間の知識を、うまく活かして使える人と使えない人があって、えらい差がつくなって、そういう印象があります。


ではここで、うまく使うという事の前に、血液型も大事だけれど、もっと大事なことがある。それが人間の性格と言う問題なんです。私は、変な肩書きつけるくらいなら肩書きなんかつけたくない方ですし、困るのは、血液型研究家っていわれることなんです。「血液型なんて私研究した覚えないよっ」て言うと「へっ?」なんて顔されるんですけど。じゃあ何がへんて、私が血液型研究家って言われるということは、例えば天文学者が望遠鏡研究家って言われるのと同じで、物理学物者が顕微鏡研究家っていわれると、これは腹が立つんです。そういうもの研究しているわけじゃないんです。

私は血液型というのを、人間を観測する手段として使っているんだと、だから、まあ、人間研究者とでも言って欲しいんだけど、これならまあ分かる。血液型を好きでやってるわけじゃないと。要するに問題は天文学者は昔、望遠鏡が何も無くて、ぼんやり星を眺めていた。それでも面白くて。あれは何だと。雨の降る穴だろうかとか、神様の下げたちょうちんだろうかとか、あるいは、あそこに熊がいるよとか。星を見ながら勝手な事を言ってた。その時代は科学でも何でもなかった。ところが望遠鏡を採用していっぺんに見えて来た。おそらく望遠鏡が開発されてから後が、天文学が科学になったんですね。ちょうどそれに似ていまして、つまり、血液型を採用することによって、そこに材料という関係が入ったのですから、人間の違い、性格のあり方、がいっぺんに見えてきた。狙うのは人間性、人間の行動性ということに間違いはないということに念を押しておきます。


それでは血液型と性格ですが、これをどう還元するのかというのが問題。その前に性格と言う問題を、今までの皆さん方はなんか非常に単純にお考えになり過ぎてるところがある。今までの学者の人は全部そうですね。血液型と言うのは案外、非常に複雑なもので、今まで使っている性格の言葉一つで現すと、ほとんど無いに等しい。なんか一つの言葉で決めつけられるような感じがすること、例えば「神経質」と言う言葉がありますね。これは本当に性格の本命みたいなところがありまして、大学教授と名のつく人も神経質が性格の言葉とそう思っている。でっ君は神経質か、神経質じゃないかというので人の性格をどうこう言う。「神経質」というのは性格を現す意味にぜんぜんならないんです。これはいろんな人に、君は神経質かどうかなんて聞きますと、まあ周りから見て本当に無神経な人までが、「う~ん俺、割に神経質なんだな」って言ったりして、周りが噴出してしまう。これは一つに、自分の性格は一番自分がわからないというのもあります。しかし、それだけではなく、可哀想にそう言う人はほんとに神経質なんです。ただそういうふうな人に見える神経質か、見えない神経質かと違いがあるんですね。

これもA型の方に非常に多いんですけど、A型の人はさっきも言いましたけど周りに気を使って、大変サービス精神が富んでいると。ですから、今度も申し上げましたけど本当にA型の人の一つの特徴としまして、自分の周囲とか世間とか,これは自分に関連する 周囲ですけど、非常に意識しまして、たぶん前にいる人にも、ものすごい意識しまして、まあなるべくその人と余計な摩擦衝突を起こさないと言うことをたえず考える。考えますから細かく気を使う。それからどぎついことは言わないで差し障りないような言葉を使うようにすると。なるべく笑顔を使うようにすると。サービス好きもいろいろありまして、消極的なサービスですとなるべくどぎついことをいわないで、控えめに自分の意見もあまり出さないようにしておこうとする。積極的なサービスの人は、いわゆる萩本欽一みたいなああ言うやり方ですね、まあ積極的に冗談を言ったり、面白いことを言ってワーワーと笑わせようと、一生懸命努める。とにかくそう言う風に大変周りに気を使うわけです。


だからA型の人と付き合ってる人は、神経質な人だな。気の細かい人だなと。極端な場合、神経質な人だなと、まあこう見えるわけなんですよね。ところが我々B型っていうのは誠に残念なことでございまして、周囲の事には一番気を使わない。気を使うのは自分の内部のことで、自分の気分が上がったり下がったり、本当に気をつかってるんですよ。皆さんはそうは思わないでしょうけど、もう耐えず、自分の気分がいらいらしてる、これ、早く静めないと。ああ、乗ってる乗ってる、この時なんかやらなきゃとか、やっぱりなあ、なんか今日は落ち込んでるとか、ひらめくとか。まあB型は良くお天気屋とか気分屋とか言われますけども、そう言うふうに割に気分が動揺する。それを自分が非常に気にしまして、それをたえずなだめたりそれを解消する方法はないかなんて考えたり、やってるんです。それは自分だけの問題ですから、ぜんぜん人のことは見えない。そうやって人から見える、周りに気を使うことをしないもんですから、あのやろう無神経だとかずうずうしいとか気を使わないとか、悲しむべき誤解を人に与えるんです。ただ、神経質という点では同じなんですね。


もっと簡単に例えれば、着道楽、食道楽なんていうことがある。衣類に大変神経質な人が食べ物には神経質でなくて、なんでも食べたり、カップラーメンでなんかで済ましたりしてる。ところが着物にはぜんぜんかまわないぞんざいな人が、例えば食い物になるとうるさくて、ああだこうだと、言ってる経質な人がいる。まあそう言う風に同じ神経質だと言っても、方向によってもぜんぜん違うんです。だから一口に、食べ物に神経質だからと言って、その人を神経質と言えない。例えばもう神経が細かくって、神経質で、周りがそのおもりに閉口する。親父さんなんかにたまにいると思いますけど、そう言う親父さんどうかと言うと、今度は、周りの人がどんなに思っているかと言うことに対してひどく無神経なんですよね。だから神経質の言葉ってひとつじゃ絶対に現せないと、そういうことが言えるわけです。


もうひとつ、ついでですから申し上げますと、今度は「情緒安定」と言う言葉お聞きになったことありましょうか。これもまた、神経質に勝るとも劣らないほど、会社なんかでお使いになりまして、入社試験とかね、社員のいろいろな人事降下なんかで性格審査、適性検査で情緒安定してると言う項目がたいていは入っていると。またそれに付けこみまして、インチキな性格テストなんて言うのもやられてまして。たまたま私のせがれが性格テストの日本で一番の大手メーカーに勤めてたもんですから、その性格テストがいかにインチキか認識したんですけども。この性格テストの中で取り上げられるのが情緒安定。情緒安定とか不安定は、本当に性格の問題じゃ無い、性格を分ける言葉にならない、ということをご説明したいと思います。
  

最初O型なんですけども、O型は割に情緒安定と日常範囲では見られると。これは男性の場合は大変いいんですよね。男性の場合でしたら、情緒安定はしっかりしている、ことに及んでも平然としている。非常に頼もしいと。しかし女性のO型はずいぶん損しているんですよね。いろんなご主人のアンケート調査ずいぶんしましたけども、うちの女房可愛げが無いというのはたいていがO型の奥様お持ちの方で。女らしくないとか可愛げが無いとか。ようするに男とはあさましいもので。やっぱり奥さんは本当に落ち着いて、しっかりして、情緒が安定してるのが一番たのもしいんです。ところが、わけわからん、ゴキブリなんかに「キャー」って言ってもらって、首っ玉にしがみつく。そんな頼りない奥様を可愛いなんて、思うんですよね。これがO型奥様あたりになると、もう驚きませんから、ああ、ネズミがいたわ、ギューッ。なんてね、平然としてると、旦那、ぶるっちゃって、可愛げがないなんて言う。本当は間違ってると思うんですけど、まあ、そこんところはO型奥様も割り切って、たまにはつまらん事でもキャーなんて言って見せるのもひとつの人間関係のノウハウだと思うんです。
 こういうふうにO型はだいたい安定している。スポーツ選手見ましても、あがらないというO型選手は比較的多いんです。ところが、ここに問題がありまして、リミット、限界、ある、追いつめられた状況が来た時、これは個人差がありまして、多少早めに限界が来る人、ずっとプレッシャーが高まってから来る人、それから、内容がありまして、O型に特有の理屈で言い逃れができなくなる、それ以上言い返せなくなる、そうすると追いつめられる。とにかく限界があり、そうなった時、だんだん乱れるというのでは無く、極端に激しく乱れるんですね。こんなタイプのスポーツ選手が非常に多いんです。スポーツ選手なんかでも、これが生涯の桧舞台と思った瞬間、メロメロになったりするんです。だから、おかしいんだよ、時たまあがるんだよ。なんて自分でも不思議がってるO型もいる。そういうO型と付き合う場合も、その人を徹底的にやっつけるんなら別ですけど、乱れると何するか分からんので、追いつめずに、余裕を少しあげてほしいような気がしますね。だから、落ち着いてる人だといって、すっかり安心はできないということですね。


今度はA型なんです。A型というのは一番心配性、苦労性といわれてる人が大変多い。特に女性の方なんかそうですね。男は額に汗かいて無理してでも自分をごまかせる人もいますけども。やっぱり平均して心配性、苦労性と言われる人が多い。これは理由がはっきりありまして、A型は非常に基本的気質に完全主義でございます。
ここのとろ京都の西陣と言う保育園で、幼児教育と血液型との関係というのでずっとコーチしながら、実践教育なんてやっていますけど、まあ本当にあきれかえったような、びっくりするような血液型の違いが、本当に2歳、3歳の頃からありありと出て来ると。まあこう言うの見てみますときりがないほどいろいろな例があるわけですけど、A型の完全主義、そう言う点を見ましても、全てのものが完全でないとしょうがないと、そう言う関連性が本当に目立つ。これは2、3歳の頃から芽生えてくる。本当に感心している訳です。ですから、なんか仕事やっていくときりがないと。それから最後まで仕上げると。A型の人をお使いになる時に、一番気を付けなければいけないのはこれでして、途中からやるのは良くないです。ある仕事をして、後わずかで仕上げる時に、「ご苦労さん。後はいいや自分でするから」などというと本当に怒るんですね。それは後少しで仕上げられるのに、止められる程腹の立つことはないというのがあるんですね。


このA型の完全主義とは何かというと、完全に仕上げるために欠けてる所を埋めるのに懸命になるということですね。あとこれだけ欠けてるのを無くせばと、欠けてる所ばかり目がつく。これはB型の人とぜんぜん逆ですね。あらかたできてらぁ、ごきげんだぁ。なんて喜んでるんです。ところがA型の方は、まだここと、ここと、ここと、ここのところが欠けてるじゃないと。それが気になって夜も眠れない。そのA型の方がお母さん方になったり、お父さんになったりと、あるいは会社の上司になったりして、良く言われるのが、あら捜しのAってヤツで、あら、本当に捜して来るんですね。仕事を持ってきても、ヒョイと見て「なんだこれは」なんて言って。まあそう言うところもまた、さっき言いました心配性、苦労性と言うのが、原因なんですよね。
だからまず周りについて、気になることを補修したり、なんか変な物、心配や不安が、ちょっとでも怖いところが出るとプレッシャーが高まりまして、だんだん、だんだん波が大きくなる。まあ一般的にこう言うタイプになると。ところが、限界でリミットを超える。そういたしますと、プレッシャーが要するにぱっと、いっぺんに落ち着いてしまう、開き直ると。これはO型とは全く正反対の対応で、こう言う状態というのを本当に良く見ます。


B型は誰とでも差別なくすぐ親しむというような点がですね、裏目に出ますと、人をうかつに信用して殺されかねない。人間をすぐ信じやすくって、すぐ騙されて、すぐ乗せられるという問題がありまして。逆にいいますとこのB型の亭主の人達を乗せることを考える、こんな楽な亭主はいないんで、だから、さきほど申しましたけども、B型はお天気屋、気分屋と、言ってみれば情緒不安定なわけで、スポーツ選手の中でも、わりにあがりやすいという人が多いんです。こう、波が結構あって、プレッシャーがあって、波があって…、何てことはない、プレッシャーと関係なく波を勝手に作ってる。まあ、それ程関係なくもないんでしょうけど、極端に言えばこういう形になる。言ってみれば、自分だけで不安定になっていると。ある意味でいうと不安定さが各血液型の中で一番安定していると。

 

それからAB型ですけども、これさっき言いましたように人間関係において、非常に名人だと。それもやっぱり、大変優秀さがものを言うんです。なんと言いますか、AB型はクールとか、なんというか、本当に落ち着いている。スポーツ選手もそうですね。北の海なんていう横綱もそうです。古い方では巨人の末次なんてAB型いましたけども、とにかく冷静で落ち着いている。それはもう、事実分析なんかも確かですし、非常に淡々として、話なんかもわかりやすい。この波なんかも、他と比べると直線に見えるというくらい大変落ち着いている。情緒が安定しているAB型が、大変目立つんです。ところが、これをAB型の全てだと思うと間違いで、AB型=二面性と言っているんですが、何かこう、二つの面を持っていて、どちらかに簡単にスイッチしているように思うんです。この大変落ち着いている方が第一面、そして第二面というのはもう、ひっちゃかめっちゃかになる。こう言うわけの判らんところが、大変あるんです。

最近では、関根恵子というAB型が一番騒がせたんで、河村きりという旦那がA型ですけども、さんざんふりまわされた後、当時の事を書いたんじゃないでしょうか、「青春の巡礼」という本がありますが、A型がAB型に振り回されて、ヘロヘロになって、分けがわからないとため息をついて終わったという、そういう小説でして…というか、ドキュメントでして。非常に参考になったわけですが、このようにAB型は一つの面だけではないと。一番困るのは、AB型と結婚して、これほど優雅でおしとやかな女性はいないと思っていたら、もう一面ではもうつかみどころが無くてどうしようもないと。でも、おかしなもんで、そこが可愛いという男性が多いんですよね。そういう意味じゃAB型の女性は旦那からも可愛がられるし、年取っても子供からも可愛がられるし、女性の場合大変得をするんです。


話をずっと前に戻しますと、情緒安定が、性格を現すかどうかと言うことですが、いったいこれを、4つの血液型でどの型が情緒安定だか、どの型が情緒不安定だか判定が付きますか?全くばかげた話ですね。ただ言えることは、ある時ある状態で、ある時点で、あるいは場所で、その時にその人が情緒安定の状態であった、情緒不安定の状態であった。と言うことだけはいえる。
それをいわゆる人間に関する学者と称する人達、こう言ったら失礼ですけども、大学教授その方面の、心理学も同じですが、この情緒安定のところまで決めつける。私がいつも思うのは、決めつけることだけは勘弁して下さいと。言葉で決めつけられるもんじゃないよと。まあ、良く申し上げるんです。だから、性格っていうのは、本来このように変わるもので、これが私は性格の特徴だといってますけども、TPOで変わる。教育の方面でもそうですが、O型なら、O型がどういうふうに変化するか、その変化の仕方を知らなければ意味が無い。いろんな状況で変わってくる。そしてその変化のし方が血液型によって違うんだと、こういう使い方をしなければいけない。
  

それから、もうひとつ念をおします。ここにいろんな質問がございまして、よく、人間を4つに分けるのはけしからんと。分ける分けないなんてそういうことを言う人がいるんですね。同じことを…同じ風に言えばこれは人間を男と女の二つに分けるのはけしからんというのと同じで。皆誰もそんなこと思ってやしないと。今のとこ、ABO式は4つとそれから男女の区別はつきますと。まあそれくらいしかないんで。二つに分けて分けっぱなしで、二つしかないなんて誰も思わない。血液型も4つに分けても4つしかないなんてことはないと。

あるいはまた、うちの家族全部A型だけど全部性格違う、どういう分けかと。同じだったら変じゃないか。人間4通りしかないんじゃないかと。そんな馬鹿なことは腹が立ってきて笑うんですが。なんとなく、そんな錯覚におちいる。


性格と気質、これは生まれた時の気質です。なら血液型はどういう関係があるかっていうことなんですが、まあ一番解かりやすい最初の説明としては、よく料理の問題に例えるんです。性格の場合は、気質というのは材料になるわけです。そのへんは生まれつきの気質と言うのがありまして、これを材料にして調理するんでですね。気質、体質というのがある、これを調理し活用し、クッキングして、加工して、そして性格になっていくと。そう言うことですね。材料なんです。ちょうど料理と同じです。いろんな料理が、材料がある。そういうもんだと、そういう風に考えて頂きたいんです。それで料理の材料と言ってもいろいろありますね。こういうふうにいっぱいありますけど、分類はできますね。どう言う分類でもいいですよ。多少意味のある部類にすれば。肉、魚、野菜という分け方でもいいんで、あるいは日本料理、中華料理、西洋料理そう言うわけ方でもいい。そう言う風にいろいろ分類ができる。肉とか野菜とか魚とか…。


気質、体質もいろいろ分け方ありますけど、血液型はA・B・O・ABと、体質気質の材料になるそれで調理加工は何かというと、これは生まれてからすぐの周りの影響、いろんな刺激ががどっときます。それから周りの人がしつけたり、いろんな影響がある。スキンシップの愛情もその中に影響すると。学校に行けば、先生や達からも影響ある。大人になっては職場の先輩のコーチがある。そういうものが全部、それだけではなしに…、料理と一つ違うところは、料理の場合は牛肉なら牛肉自身、自分を料理することはないんです。人間の場合は自分で自分を料理することができると。いわゆる自己開発とか修行とか、精神修行とか性格形成、人間形成…それぞれ自分で努力することができる。その自分の努力によって材料を料理するんです。この料理のせいで同じものを使っても、すき焼きしゃぶしゃぶ、ハンバーグあるいはステーキ、千差万別の牛肉料理ができるわけで、まあ牛肉使うとなんでもできるわけなんですよ、工夫と思考によっては。そういうように同じO型材料を使っても、調理加工によって全く、無限に性格が変わる。だから、明るいO型がいれば暗いO型もいると。いじけたO型もいれば、大変謙虚なO型もいる。ずうずうしいO型もいるし、人格的にすぐれた聖人みたいなO型もいる。凶悪なO型もいると。A型、B型にも同じこと同じ血液型でも調理加工でこんなにわかれるんだと、それだけ分かって欲しいんです。


こんなこと言いますと、なら4つに区別する必要もないだろうと。それも変なんで、いくら料理しても、肉と野菜ははっきり区別される。つまり牛肉を使った料理はどんなにバラエティーに富んでいても、必ずその料理をする時には牛肉の持ち味とか特質とか性質とか、完全に残っている。それは料理の仕方よって非常にはなやかに残っているのもあれば、すごい沈んで残っているのもあると。発言のしかた、表現のしかたいろいろ違うけど、O型の気質の特徴は、持ち味はそれでも残っていると。O型のいろんな性格ができても、その隅々にはO型気質の影響、持ち味、全部残っていまして、それはA型B型とは、はっきり区別がされる。そういう関係であると。この関係をぱっと飲み込むか飲みこまないかによって、これからの二十一世紀の人間に対しての理解ができるかできないか、境目のような気がいたします。
こう言うこと考えますと、大変私は神経質になったりしますんですが、良い料理というのは何か、という問題ですね。良い料理って私思うに、やっぱり材料の持ち味をもっとも良く生かしたのが良い料理なんだと思うんです。例えば大根なら大根という材料があると。大根を一番生かしたのがふろふき大根だとか、いろいろあると思うんです。それがビフテキを見て、ちきしょー旨そうだなと、真似してやれってんで、大根が牛肉の真似をして,フライパンで焼いても、まずいんじゃないかと思います。同じようなもんですね。今度は牛肉のやつが大根卸し美味そうだと、牛肉をおろし金でおろしたところでどうしようもないと思うんですこれは。そういうふうにO型ならO型、A型の真似をしてうらやましいなんて無理すんじゃない。そうじゃなしにO型ならO型が、その生まれつきの気質を、特徴を知ってそれを生かして行くのが成功の料理。つまり人間形成、性格形成だろう、こういうふうに思うわけなんです。
  

でもそれを考えると、全く教育って言うのは怖い話で。言ってみればその材料の違いを全部事前に、つまり肉であろうが野菜であろうが魚であろうが、いっしょくたに同じ料理を押し付けていたのが今までの教育であり、あるいは自分の人生の進路決定であり、何でも一つの料理を押し付けると。

ところが自分がA型のくせに、B型の人が言った人生論、これいいなと、押し付ける。あるいはAB型の教育学者がAB型なりの教育を、O型に押し付ける。そういうこともありましたでしょう。材料の違いをぜんぜん無視して、同じ料理を押し付ける。たまたま当たってうまくいった人もいるんでしょうけど、大半の人は冗談じゃなしに、せっかくうまく料理すれば生きる素質もいっぱいあるのに、才能をつぶすことがあるにもかかわらず、それをぶっ壊されてほとんど低能な料理にしたてられてしまう。あとは才能のほとんど生かさないままで人生ボヤボヤと終わってしまうと言う人がいっぱいいるんだ。ということは、はっきり言えるわけなんです。

言ってみれば材料考えて本当に科学的な教育技術、教育法というのはこれから始まる。今までは科学の無い時代。これから科学的に追求して行く、本当に実行して行く、評価に関して、意義のある人間形成に関してと、あるいは人生の進路決定に関して、という感じがいたしますと、血液型の生まれつきの特質は大変必要なわけです。

料理も同じですよね、帝国ホテルの一流のコックさん捕まえて日本一の料理の名人だと言ったって、例えばアフリカのどっかのキリマンジャロかなんかの変な沼地で採れた不思議な魚を持ってきまして、この魚で美味い料理を作れと言っても、いくら有名なコックさんでもどうにもならんですね、それは、知らからできないと、断る方が良心的というもんです。それからそのコックさんが、少々時間貰いまして、この魚をじっくり研究してから考えますと言って、その魚の研究したり実験したり、試してみたり試食したりいろいろやって、その魚の特質を十分知ってしまえばそれに対してどう扱ったら良いかという料理を開発できるだろうということです。だからそれだけに深くO型、A型、AB型、B型、それぞれの生まれつきの気質と言うのを十分知るのが、まず料理の根本。まず知らなきゃいけないと。
 

そう言う意味で私にしましても、せっせと少しずつでも知識を集めて、それを皆さんにカムバックするという仕事をしていると。例えばこういうふうに今日、パンフレットにしましたけど、無理やりです。本当に短い言葉で各血液型の特徴が書いてあります。本当はこういう表に書くのは、さっきも申し上げたように無理なんです。


例えばO型の行動性で目的志向と書いてある。これは確かにそうで、O型の説明に必要なんですが、本当にその具体的な目的が決まると、ものすごく実行性が高いのは、O型なんですね。女性の場合ですと結婚問題、本当になんと言いますか、結婚名人のO型なんて感じがいたしまして。だから目的が決まるまで、大変のん気なんです。私、結婚なんて考えたことないと言い切るO型がいる。本当に考えてないと。ところがそのO型が、これはと思う相手を見つけると、ワーと突撃してやる。あっというまに相手に告白して、自分の旦那にしてしまうと、非常にはっきりしてるんです。つまり、目的が決まってない時のO型と、目的が決まったO型で、非常にはっきりしている。


だから仕事なんかでもこれは君の天職だよとか、こうやってれば皆が喜ぶ、なんていうことを言ってはO型はズッコケるんで、はっきりした目的と営業センスと、特技はこうだと、具体的な目標を掲げてやると、いうことがO型を頑張らせるコツだと。そういうことを言ってるんですけど、ただ、こういう表で一番困るのは、じゃあO型に目的指向性があってほかの血液型にはないのかと…、冗談じゃないです。皆あるんです、人間ですから。皆あるんですけどO型が特に目立つから、こう書いてる。それを全部いちいち書いてたら表にならないですからね。だからそう言う風に表に書いてあるのは非常に特徴的であって、皆もあるんだよと。あっても、おおまかにこれが特徴的というふうに、A型はこれが特徴的と、いう意味だということ。それから今言ったように、その特徴が本当はいろいろ変化をしなければいけない。つまり状況によっていろいろ変化すると。こういう言葉に書くというのは、非常に無理なんですけど、それぞれにそういう時、場所、状況という、変化があるということを、心に留めておいていただきたいと思います。


この表をご覧になって、当たってますよと言われると困るんですけど、太陽は東から出て、はい当たりましたよと言われるのと同じ気分で、当たる当たらないという問題と違うんですが、できるだけいろんな人に共通できる表現というものをやっとるわけです。さっきちょっと言いましたけども、自分の性格は一番自分に見えないとこにありまして。ずいぶん違うよなんて言ってる人が、友達に聞くと、まあ、書いてることにそっくり、ということが良くあるんで。そういうふうに、主観的に何か変な思い込みしてることがあるということもあると。


それから、相性の問題なんかも、お話しなきゃいけないと思いますけど、人との関係というのは、相性もへったくれもございません。それに、特に相性に関して注意するのは、相性の良し悪しだけ言わないでくれということ。私は、私と相性が良いのは何型ですか、なんて聞かれるとすぐ逃げ出すんで、それだけはやめてくれと。まあ、相性って言葉使いますけども、「相性」っていうのは人間関係の性質であって、相手があるっていうことで、とにかく人間関係というのは努力によって維持するもんなんです。努力も何もしないで、どうしたらうまく行く、家で毎日ごろごろ寝転がって、それで二人とも寝転がってうまく行く。まあ、何もしなければかえってうまく行くかもしれませんけどね。でもこの、何もしないでもうまく行くというのを探してるのが相性のような気がするわけなんですね。相性の良し悪し。そんなものありませんし、そんな虫のいいものじゃありません。同時にいくら努力してもどうにもならないという相性もそうないと思うんです。東山動物園でも、結構相性良く、飼育係とゴリラがうまくやってる例もあるんです。これがカメレオンあたりだったら多少相性も悪くなるんでしょうけど、少なくとも人間同士ですから、努力して相性が良くならないのは一つもないと。相性のこと考えるという時は、今度は逆に、努力の仕方を考えてくれということですね。こんどは二人組にした料理ですね。肉と野菜の組み合わせ料理です。
 

本当によくあるんですけど、O型の旦那なら喜ぶことが、AB型の旦那では大変機嫌を悪くすると。例えばA型の旦那、B型の旦那がいるとする。B型は比較的ですね、仕事の話を聞いてやると喜ぶんです。もう調子に乗っちゃって、いい女房だななんて感激しちゃって、非常に気楽に奥さんに話してくれると。それを見て、A型の旦那に「今日何やったの?どういう仕事…」なんて言ったら、うるさい、女は仕事のこと口出すな。なんてね、A型に、いや、全部ではありませんが、比較的仕事のことを家で話すべきでない、べきでないが好きなんですね、A型は。まあ、こう考えてるA型は非常に多い。以前3人の仲良しの大関がいましたが、A型の三重の海とB型の貴ノ花と旭国。三重の海の奥さんもA型でしたけど、あんまりにも相撲のこと何も言わないんでさすがに張り合いないと。ところが旭国なんてひどいもんで、結婚早々奥さんのこと捕まえて、相撲とは、こうしてああして、どうして解らんのか、もっと勉強して俺の話が解るようになってくれなんて。貴ノ花の奥さんO型ですけど、有名ですよね。ビデオなんか撮って、取り組みなんかも研究して、かゆい所に手が届く感じですけど。これ、A型から見るとほんと、にがにがしい男と思うかもしれませんが、B型から見ると、聞かない方がなんと冷たいと、A型を批判するかもしれない。まあ、ある意味じゃ、内助の功のし甲斐はB型にあるようで。内助の仕方も血液型で違う。ゴルフ界の一番有名な話が、B型の青木選手が、O型の奥さんに取り替えたとたん、世界の青木になった。まあ、それだけではないだろうけど、まわりの仲間はみんなそう信じ込んでるで。このO型の奥さんは、本当に世界中、青木に付いていって、一生懸命おだてる。ただこれを、例えばA型がやっちゃ悪くなっちゃいますね。O型のようにおだてようと、A型の奥さんにはできないんです。にこにこよう相づちは打つんですけど、お世辞が言えないんで。
 

それとこの、相づちを打つからといって、A型は本当に納得してるんじゃないというのも、憶えといて下さい。それからB型のいけないのは、そうじゃないとか、最初、すぐ否定するけど、それ程否定している分けではないと、それも憶えておいていただきたい。それから、A型が一旦引き受けたら、これは信用できる。そしてB型の方は、やすうけあいで分かったと言って、どこまで分かってるのか、更に念を押す必要がある。そう言うところを飲みこんで、どう努力するか、それを発見していくことが、まあ一生の問題だと。これは、夫婦でも、親子でも、会社でも、非常に大きな問題だということなんです。
  

ですから最後にひとつ今度逆に皆さんにお願いですけども、いろんな分野を対象にして、血液型は話題になっていますけど、今までは、人間の問題の科学的な方法がなかったわけですけから、だからデーターを集める事を誰も気がつか無かった。コロンブスの卵じゃありませんけども、データーを集めたら面白いんじゃないかなと、それで集め出したのが私が初めて。それだけの違い。ずいぶん古くから、50年ほど前から血液型と人間性の話はやってました。しかしこうしてデータとって、やってみますとこんなにすぐ自分達の生活にびんびんと跳ね返って来る、そういう人間の科学は他に無いんです。それからもうひとつ、ずいぶんまあ、B型の凝り性で、集めてまいりましたけどもだんだん限界になってくる。というのは今までも2千,3千とあるいは1万とアンケートなんかやってきましたけども、それも限界になってくると。例えば一人の研究じゃなしに、研究所を作る。いろんな若いのが集まって、どんどん人を育てるような組織を作る。それからもうひとつ、植物学者の牧野富太郎さんなんて方がおりましたが、世の中に背を向けて、雑草とってられるんです。つまり、雑草なんかを切るとき、いちいち、「今からおまえさんを摘むけどいいか」って、天文学者だって、金星に、「今からあんた、覗くよー」なんて言わないんで。勝手にやってればいいんだと。しかし、これ、人間の問題だけは勝手に実験したり、もうそれは大変な問題になるんです。大学教授の方々が、人間の問題を科学的に扱えなかった最大の原因はそれです。
いろんな所にもぐりこんで、いろんな人と接触して、データーを集めなければいけない。私も、大変な屈辱を受けまして、大変な屈辱や、あざけり、ののしりを受けて来まして。まあそのたびに、ひがみのBが復活して、えらい目に会いましたけども、それでもどうにか来ましたけど、人間のこととなると、同意がなけりゃしょうがないんです。ということは、本当に初歩的なデーターや知識をどんどん集めるためには、これは面白いと、やろうじゃないかってそう言う仲間が、そういう人達が一人でも二人でも三人でも集まれば集まるほど、それだけのデーターも集まりやすくなると言うことです。ですから自然科学、文化科学史以来、初めて大勢の人によって作らなければ成り立たない科学というのができた。科学といったらアカデミズム…、いやそうじゃない、人間の力で作るんです。


  そろそろ、時間の制限がございますので、ちょっと5分か十分、とってありますから、ご質問があれば是非、お願いします。

(以上です。。最後までお読み下さり、誠にお疲れさまでした。)

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