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血液型人間学の創始者、能見正比古の魅力をお伝えします。
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能見正比古エッセイ 能見正比古が書いたエッセイです。
能見俊賢の"おやじ"のエッセイ 俊賢氏から見た"おやじ(正比古氏)"について。
講演記録 能見正比古のある日の講演記録
 かつて、こんなに人間のことを理解した人がいたのだろうか―。もしも、彼がまだ生きていて、そんな言葉を彼に投げかけたら、おそらく彼は、「私が人間理解の達人なわけじゃない、この血液型というものがすごいんだよ」と、答えるであろう。
もちろん、彼の洞察力、観察力なくしては、この血液型人間学は決して始まらなかったに違いないが。
 
 能見正比古、血液型はB型。大正14年金沢に生まれる。O型の父とB型の母、O型の姉の4人家族だった。教師をしていた父親は、その頃としては背も高く大変なダンディズムで、母親は、才媛な女性だったという。父親はいかにもO型らしい発想で、「女房は顔は悪いが頭がいい。俺の容姿とあいつの頭が一緒になれば、いい子孫が残せると思った」と真顔で言ったときには、「親父の頭とお袋の顔に似た子供が産まれたら、どうするつもりだったんだ?」そう、正比古が笑い茶化したのだそうだ。
 しかし、父親の思うとおり、二人の子どもは金沢でも名が知れ渡るほど秀才だったという。
 能見正比古の血液型への興味は、姉の幽香里から、「人間関係をよく見ると、この図のように流れているのが分かるのよ。面白いでしょ」と、血液型著書のどれにも紹介している(リード=おもり)関係の図を見せられた時に始まる。
 この図については、おそらく幽香里がO型の直感でひらめいたものだろうが、その当時はっきり確認しておけばよかったと、後で言っている。
 幽香里は、若くして他界してしまっているのである。
 正比古は優秀な成績で一年早く学年を卒業し、今の東京大学工学部に入学した。300人の学生の寮長を務めた彼は、戦時中のさまざまな問題を抱えた学生たちの人間模様を血液型を通して眺めることになり、その時、血液型の驚くべき可能性を強く感じたのだろう。
 工学部を一旦卒業した彼は、再度法学部を受験して在学した。その頃に、学費を稼ぐために始めた書き物のアルバイトがきっかけで、三木鶏郎の下で働くようになる。当時のラジオ番組のコントは、正比古の作品が多く採用されていたという。
 売れっ子シナリオ作家になった彼は、おろそかになった学業の方は中退している。
 彼は、相撲評論家としても定評があったが、相撲に関しても姉から強い影響を受けている。
 姉の幽香里は、学生の頃から相撲の大ファンで、力士の、今で言う追っかけをしては相撲部屋に出入りしているうち、相撲評論を手がけるようになっていた。姉に付き合って部屋に遊びに行った正比古も相撲に興味を持つようになったのであろう。
 彼はまた、大宅壮一への弟子入りもしている。入門願いにあたって、イエスかノーで答える質問表を自分で作って送り、それを受け取ったO型の大宅氏は面白がって、弟子入りの許可をしたのだそうだ。
 さまざまな場所で作家活動をしながら、学習研修社で編集長を務めたこともある。ただ、サラリーマンらしき行動はしたためしがなく、部下を自宅に呼んで会議をしたり、たまに出社したときには一日中雑誌を読みふけったり、彼を紹介したA型の友人の方がハラハラして神経を痛めたという気の毒な話も残っている。それでも役員たちの白い目をよそにO型の社長に可愛がられて、血液型人間学の最初の著書を出版するまで勤めることになる。
 これが、彼の若い頃の経歴である。能見正比古は、いかにもユニーク、豪傑といった人物だった。
監修: 能見俊賢
制作・編集: TRIANGLE MOVE
NPO Human Scisence ABO Center(血液型人間科学研究センター)
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